2.設計士が決まるまで3年

私たち夫婦が死ぬまで住むことができる、あと50年はもつ家を作ろうと決めた。(⇒建て替えかリフォームか
決めたはいいけれども、どこに頼むかはなかなか決まらなかった。日本には建築士が10万人いて、施工会社は4万社あるという。その中から私たちの家を作ってくれる、たったひとりと1社を、どうやって選ぶのがいいのだろうか。

とはいっても、インターネットの時代だ。コンピューターからアクセスすれば、そこに情報はあふれている。電話帳さながら、工務店が地域別に一覧になって出ているサイトがある。「こんな家が欲しい」と希望を書いて申し込むと、そのニーズにマッチする建築士を紹介してくれる出会いサイトのようなところもある。

そんな中の一つ、大小の工務店がたくさん登録しているところに募集広告を出してみた。そうしたら、翌日から家の電話が鳴り続けるようになった。みんな売り込みの工務店からだ。ひと抱えもあるような資料がどんどんと送られてくる。内容はどれも似たような感じで、豪華な家がずらりと載っているけれども、私たちのたった15坪の狭小敷地にこういう家が建てられるとはとても思えない。そのうち玄関のベルが鳴るようになった。営業マンがうちまで来て、無料でいいからと測量したり、こんなプランではいかがでしょうかと設計図を持ってきたりする。全部で17の工務店から、こんな営業攻勢があった。

そして……、なんだかイヤになってしまった。たじたじとなったと言ってもいい。彼らの必死さはよくわかったんだけど、その必死さが私たちが望むのとは別の方向を向いている気がした。
そして……、この件は1年以上ほったらかしになった。



しかし、いつかは行動を起こさなくてはならない。私たちの人生の色々なリミットは確実に迫ってくる。古い家が傾いて住めなくなるまでのリミット。定年までに払いきれるタイミングで、夫がローンを組めるリミット。せっかく建て替えた家に、健康な状態で暮らせる時間のリミットなどだ。なので今度は、別のサイトに募集広告を出すことにした。建築家との出会いサイトだ。

このサイトが提供している出会いづくりの演出が興味を惹いた。まず、建築家を募集するためには、自分たちがどんな家を建てたいと思っているのか、詳しく書き込まなくてはならない。それに応募して自己紹介の資料を送ってきた建築家には、必ず返事をして、断る場合には資料を返却しなくてはならない。
この方式は、どんな家を建てたいかについて自分たちの考えを整理するいい機会になった。なるほど、私はこんな家が欲しいんだな、ということが具体化された。

3週間たって、29人の建築家からのプレゼン資料が、大きな段ボールにぎっしり詰まって届いた時には、びっくりしたけれど嬉しかった。1年前に次々届いた工務店のパンフレットと違って、私が書いた「こんな家を作りたい」にこたえる形になっている。中にはわざわざ我が家の前までやってきて、外観から敷地を判断し、簡単な設計プランを書いて送って来た人もいた。しかし、この29人の中から、どうやってひとりに決めたらいいのだろうか。29人の建築家が送ってくれた資料には、29様の仕事がぎっしりと詰まっている。ここから一人を選ぶなんて、本当に重たい作業だ。

まずは、その人がどんな家を設計するのかがよくわからない資料からはぶいていった。過去に手掛けた作品集に敷地面積が出ていなかったり、どんな建築条件の所に設計したのかがわかりづらいものはよけた。私たちのと同じくらい小さな土地に設計をしたことがあるかどうかも重要なポイントと考えた。そして、その建築家のプロフィールをよく読んで、私たちと気が合うかも考えた。

5人に丸が付き、17人が保留になった。それから、合計7人の建築家に会って、一人ひとりと1、2時間かけて話をし、その中の3人の建築家に、謝礼をするので簡単な設計プランを考えてほしいとお願いをした。でも結局は、そんな金額では基本設計はできないと言ったY建築士を、基本設計をしてもらうこと無しに選んだ。他の二人には基本設計をしてもらって、特にDさんの設計は、家のデザイン賞が取れそうなくらいすてきでカッコよかったんだけれど、Dさんにお願いすることはしなかった。

建築家を選ぶときに一番重視したのは、その建築家自身の生活や家庭やちょっとした価値観がちゃんと見えるかどうかだった気がする。そしてそれが私たちの生活や価値観と合うかどうかを考えた。
デザイン賞が取れそうなカッコいいデザインをしてくれたDさんには何度か会って話をしたし、手掛けた家も見に行ったけれど、結局最後まで本人にどんな家族がいて、どんな生活をしているのかがわからなかった。Dさん以外に会った6人の建築家からは、話していうるうちになんとなく見えたことだったのに。

ある建築家は、価値観が一緒であることが重要だ、私たちは同じような価値観を持っていることを見せたいと言って、自宅にまで招いてくれた。その自宅は、うちと同じくらいの敷地の狭小住宅だったので、大いに期待して訪問した。家は、地下から3階までを階段と踊り場で仕切った、7層のスキップフロアになっていた。壁一面が床から天井までの大きな窓になっていて、いくつも開いた天窓からは陽がさんさんと降り注いでいた。家の中も外も見渡せるので、狭さを感じない工夫された作りだ。

でも私は思ったのだ。見晴らしはいいけれど、この家はけっこう暮らしにくそうだなあと。同席してくれた奥さんがぽろっと言う「夏は暑い」とか「階段が多くてたいへん」という言葉に本音を見てしまった。植栽が少なかったのも私にはマイナスだった。キッチンにこだわりがなさそうだったのが、料理好きの夫の心に響かなかったようだ。

Yさんが手がけた家は、工法や素材がばらばらで、あまり主張が感じられなかった。しゃべり方ももたもたしていて、はっきり言ってなんだかどんくさい印象の人だ。でも私が突拍子もないことを言っても、冷笑したり、取り合わなかったりはしないだろうと思われた。言いたい放題言っても、丸く収めて、ちゃんと形にしてくれそうだなあとも思った。Yさんのような印象を、これから家を作ろうという人に与えるのは、けっこう大切なことかもしれない。相手はなんとなく安心し、一緒に次の一歩を踏み出そうという気になる。

こうして、Yさんに設計をお願いすることにした。家作りは、建築家や工務店に私たちがこれからどんな生活をしたいのか、なぜそうなのかをすべてさらけ出すことだ。タンスの中を全部見せることと同じだ。寝室をどう使うのか、どんなトイレが好みなのかだって、わかってもらわなくてはならない。Yさんになら、それができると思えた。実際にはなかなかそううまくはいかなかったけれども。だって、結婚相手とだって難しいんだから、誰かと100%完ぺきに相性が合うなんてそうそう無いことだ。

その後始まった設計作業では、色々な食い違いや衝突があった。それでも、私たちがあと50年、どちらかが死ぬまで住む家は無事に完成した。Yさんらしく真面目に構造計算された、頑丈な作りの家だ。でも窓のレバーの高さや物干しの位置といったちょっとしたところに、なんか抜けがある。それでも、小さな敷地に建った、小さいながらもどっしりした家に、私たちはすごく満足している。

時々、あの時Dさんにお願いしていたらどんな家ができただろうと夫と話すけれども、その選択肢は今でもやっぱり考えられない。だから、話はいつも途中で終わってしまう。